牡丹灯籠――夜の参道に現れる女――

季節の・・

むかしむかし 山のふもとに 古いお寺がありました
その寺は 何百年ものあいだ 村人たちに守られてきた寺でした
山門の脇には 大きな杉の木が立ち 境内には古い鐘楼がありました
そして 本堂の裏手には、小さな墓地がありました 
墓地の一番奥には 誰のものとも分からない 古い墓が一つ 
墓石には かすかに 
「お露」
という文字が残っていたそうです 
さて この寺には 昔から不思議な言い伝えがありました 
それは――
夏の夜、参道に牡丹の灯籠を持った女が現れる
というものでした 
その女を見ても 決して声をかけてはいけない 
ましてや 後をついて行ってはいけない 
そう和尚たちは 代々 村の人々に言い聞かせてきたのです 
けれども ある若い男が その言いつけを破ってしまいました 
男の名は 新三郎 
寺から少し離れた村に住む 気のよい若者でした 
ある夏の晩 新三郎は寺へ用事があり 帰りがすっかり遅くなってしまいました 
山道を歩いていると 
「カラン…… コロン……」
と 後ろから下駄の音が 聞こえてきました 
振り返ると
―― 月明かりの中に 一人の女が立っていました 
白い着物 長い黒髪 
そして手には 
牡丹の花が描かれた灯籠 
女は何も言わず 新三郎の少し後ろを歩いています 
「こんな夜更けに 一人でどうしたのですか」
新三郎が声をかけると 女は顔を上げました 
そして 寂しそうに 微笑みました 
「道に迷ってしまいました……」
女の声は とても小さな声でした 
「どちらまで行かれるのですか」
そう尋ねると 女は寺の方を指さしました 
「……あのお寺まで」
新三郎は不思議に思いながらも 
「それなら ご一緒しましょう」
と言いました 
二人は並んで歩き始めました 
「カラン…… コロン……」
「カラン…… コロン……」

夜の山道に、二人の足音だけが響きます 
ところが ――
新三郎は ふと妙なことに気づきました 
女が歩くたびに 下駄の音はするのに 
 地面に足跡がないのです 
新三郎は怖くなりました 
けれど 女の顔を見ると なぜか哀れに思えてしまいます 
やがて 二人は寺の山門までやって来ました 
女はそこで立ち止まりました 
「ここまでで結構です」
そう言って、深く頭を下げました 
新三郎が 
「お名前を……」
と聞くと 
女はしばらく黙ってから答えました。
「……お露と申します」
その瞬間でした 
寺の鐘が ゴーン…… と 一つ鳴りました 
女の姿が ふっと消えました 
残ったのは 地面に置かれた 一つの牡丹灯籠だけ 
新三郎は恐ろしくなり 急いで寺へ駆け込みました 
和尚に今夜のことを話すと 和尚の顔色が変わりました 
「お露……と名乗ったのか」
「はい」

和尚はしばらく黙り込みました 
そして本堂の奥から 古い帳面を一冊持ってきました 
そこには 何十年も前に亡くなった一人の女のことが記されていました 
名は ―― お露 
若くして亡くなった女でした 
そして その女の墓は 本堂裏の墓地にある古い墓 
そう 墓石に残っている 
「お露」
という名前の墓だったのです 
和尚は新三郎に言いました 
「今夜見た女は もうこの世の人ではない」
「お前を寺まで連れてきたのは 寺に帰りたかったのではない」
「……墓へ帰りたかったのだ」

新三郎は震えました 
その晩から 和尚は毎夜 本堂の戸を固く閉めるようになりました 
そして夜更けになると 境内の灯りをすべて消しました 
ところが――
三日目の夜 
寺の者が本堂で眠っていると 
「カラン…… コロン……」
と、下駄の音が聞こえてきました 
音は山門から入ってきます 
「カラン…… コロン……」
参道を進み、
「カラン…… コロン……」
本堂の前までやって来ます 
そして――
ぴたり 音が止まりました 
寺の者が 障子の隙間から 外を見ると 
そこには 牡丹灯籠を持った女が立っていました 
女は本堂を見上げています 
そして 小さな声で言いました 
「……和尚さま」
「はい」

和尚が返事をすると 
女は静かに言いました 
「私を……お墓へ帰してください」
和尚は翌朝 村の者たちとともに墓地へ向かいました 
すると お露の墓の前に 
あの牡丹灯籠が置かれていました 
火は消えているのに 
灯籠の中には まだ温かな光が残っていたそうです 
和尚は静かに経を唱えました 
すると風が一度 山から吹き下ろしてきました 
杉の木が大きく揺れ 
境内に落ちた牡丹の花びらが 空へ舞い上がりました 
その時――
どこからともなく 
「ありがとうございました……」
という女の声が聞こえたそうです 
それから後 
寺の参道に女の姿が現れることはなくなりました 
けれども 村では今でも言い伝えられています 
夏の夜 
月が隠れた晩 
寺の山門近くで、
「カラン…… コロン……」
という下駄の音を聞くことがある 
もし その音と一緒に 
牡丹の花のような赤い灯り
が見えたなら――
決して近づいてはいけない 
そして 決して 
「誰ですか?」
と声をかけてはいけない 
なぜなら その女は 
この世に残した 想いを抱えたまま、
今も夜の参道を 歩いているのかもしれないからです 
寺の和尚は 最後にこう言いました 
「人は死んでも すぐには想いを捨てられぬものじゃ」
「だからこそ 生きている者は 亡くなった者の想いを忘れてはいけない」

それ以来 この寺では毎年夏になると 
お露の墓に一輪の牡丹を供えるようになったそうです 
そして夜が更けると 
本堂の灯りを一つだけ残して 
静かに門を閉めるのです 
―― 今夜もまた 
山門の向こうから 
「カラン……」
「コロン……」

と 誰かが歩いてくる音が聞こえるかもしれません

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